前川製作所の独立法人制度について

前川製作所の独立法人制度が、どうして上手くいっているのか、どうして良い業績を出せるのかを見つけるために、創業者の時代から2代目の前川正雄の時代までの75年間を徹底的に調べました。

切欠は、大学院で前川製作所の研究所の方の独立法人制度についての講義を受けたことです。当時、若い女性の方が来てしっかりと自分の考えを自分の言葉で話す様子は他の会社では見られないものでした。「こういった人を育てるのが独立法人制度なのか~」と感嘆したものです。

 

1.実は、独立法人制度は経営に切羽詰まって始めた制度なのです。

会社の売上が落ちていき、このままでは倒産も近いという時に、各課で単独採算を採るようなイメージで始めたのです。20人で一つの会社を作らせ、自分で食っていけというわけです。考えてみればひどいものです。

この制度に納得する社員は多くなく、多大な抵抗に合ったようです。各法人を社長が自ら説得して回ったのですが、中間管理職の半分以上は納得できなかったようです。そして、多くの社員が辞めていったのです。

代わりに、このような自分で責任と権限を追い、自分で采配できることに喜びを感じる人たちが、各法人の経営者についたのです。これらの人たちは、不良社員だった人や他社から希望してくる人も多く、さらに、他社から優秀な人を引き抜いて来たこともありました。

結局、いくら話しても、今制度が好きな人は好き、嫌いな人は嫌いなままだったのです。そして、各法人の社長、中間管理職が変わって初めて、全体が機能し始めたのです。

 

2.各独立法人は、地域や扱っている商品によってグループがつくられました。

1グループ2社程度でしょうか。そして、世話役がひとりつけられていました。この世話役は、独立法人の社長を経験した人で、各社の社長から信頼され一目置かれている人たちがなったのです。そして、各法人が協力して大きな仕事を取る時に、調整役として活躍していました。逆にいえば、世話役がいるからこそ各法人は協力することをおこない、アメリカのエネルギー供給設備などの大きな仕事とれるようになったのです。

前川製作所のについて昔書いたニュースレターはこちらです。→ maekawa

 

当時、各法人は必死でした。実際、潰れることもあったのです。

親会社が助けてくっルわけではなったのです。ですから、お客様にどうしたら満足してもらいまた仕事を出してもらえるかということに必死になって取り組んでいました。

ここから様々な制度ややり方が生れてきました。
例えば、会議は必要な時にその場でおこなう。決定はお客様の一番そばにいる社員が自由におこなうのが最も良い。そのため決定権を現場にもたせる。マニュアルは作らない。など様々なものできています。

IDEOも良い会社ですが、IDEOが生れる前に、日本にもこのようなお客様発想のもと社員力をいかに引き出すかに取り組んできた会社があるのです。

 

 

3.一方、厳しい現実も見えてきます。

・社員の考え方は変わらない。人を入れ替えないとどうにもならない場合も多い
・実質、中間管理職が会社の考え方ややり方を左右している
・チーム間の協力には触媒となる世話役が必要である
なども分かってきます。

 

数少ない前川正雄のでている動画です。

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工藤 英一

工藤 英一 について

Qualia-Partnersの代表の工藤です。ゼネコンの研究員から会社経営を経てコンサルタントになりました。自身の経験から、リピーターとの関係を深めお得意様を増やしていくことを強く勧めています。
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